昔話は極端に語ることを好みます。このことは「極端性」の項で考えましたね。極端の行き着く先は完全です。つまり「たいへん・とても」が極端だとすると、完全性は「まったく・すべて」なわけです。
たとえば、グリム童話の「三本の金髪のある悪魔」を考えてみましょう。
子どもが箱に入れられて川に流されますが、箱の中に水は「一滴も」入りませんでした。完全性があらわれているところです。だから無事生きのびられたんですね。
若者が旅の途中立ち寄った町では、泉から今までワインが湧き出ていたのに、今では「水一滴」わいてきません。今まで金のリンゴがなっていた木は「葉っぱ一枚」出さなくなりました。完全性です。
イメージがとてもクリアですね。
そして、悪魔は、若者が知りたいことすべてに正答をくれます。
また、男の子が14歳になったらおひめさまと結婚するという予言は、100パーセント的中します。
ゼロか100かどちらかなんだね。とても分かりやすいし、聴いてて先のストーリーの予想がつくよね。
そうです。昔話の予言はいつも完全に的中します。「いばらひめ」では、12人の賢い女たちがいばらひめに授けた贈り物は、すべて実現します。
「白雪姫」の鏡は、「この国で一番美しいのはあなたです。けれども、白雪姫はあなたより千倍も美しい」といいます。完全な美。
ところで、「おおかみと七匹の子やぎ」のおおかみは、子やぎ七匹をすべてのみ込んだわけではありません。いっぴきだけは見逃してしまいますね。これを、「完全の中の不完全」といいます。昔話がとっても好む語りかたです。
このいっぴきが残りの六匹をすくう力になります。いっぴきと六匹の力が拮抗しています。これを「量のコントラスト」ともいいます。
「いばらひめ」の冒頭で、かしこい女は13人いたのにお皿は12枚しかなかった。一枚足りません。そのために招待されなかった一人の女の力があとの12人の女の力と拮抗しています。
王さまは国じゅうのすべてのつむを焼き捨てたはずなのに、ひとつだけ残っていて、おひめさまはそのつむで指をさしてしまいます。
これが、完全の中の不完全、量のコントラストです。
現実にはそんなにうまくいくわけないって思うんだけど、それが昔話の語りかたなんだね。